サントリーホールにおけるイム・ユンチャンのリサイタルを聴いてきました。
クライバーンコンクールですっかり彼のファンになり、特にラフマニノフの3番のコンチェルトは圧巻、何度聞いても感動で泣いてしまう私です。
きょうはそのクライバーンコンクール覇者の18歳、日本デビューです。
どの曲も奇を衒ったりすることはないのに、強烈に印象に残るアプローチでした。
そういう解釈をどうして思いつくのか、どういう教育を受けてきたのか、彼はどういう人なのか、ものすごく気になります。
ユンチャンの演奏は、きいたことのない感じ・・・・でも変わっている、というのではなく、楽譜を実によく読んでいる。正統的でありながら、魂を震えさせるようなものでした。
天性のものというのは簡単ですが、本当に音楽がありふれたものではなく、格が高い。
弾ける人はたくさんいるけれど、品格を感じさせてくれる演奏はなかなかないものです。
私は最近、同じ事柄について人がどう思うのかな、共感できたらいいなとtwitterを開くのですが、きょうもイム・ユンチャンで検索してみたら、確かに賞賛の嵐のつぶやきを多く目にしました。
しかし、会場は普段と少し違う雰囲気でもありました。
最後の曲が終わると多くの人が立ち上がりました。
じわ〜〜っと日本人がよくするように立ち上がるのではなく、多くの人が一斉にすっと立ち上がったので、おや?と思いました。
そして、ブラボーは禁止というアナウンスがあったにも拘らず「ヒュ〜」というような歓声が。
カメラは禁止なのにカーテンコールを多くの方が撮影していました。
twitter情報によるとかなりたくさんの韓国の方が来場されていたようですね。
雰囲気がお気に召さなかった方もいたのか、twitterではユンチャンが笑わないのを愛想がない、とか、聴衆のマナーが悪いなどと批判のつぶやきがありました。
聴衆は身じろぎもせず、ユンチャンの音楽に強く集中させられていると思いましたし、あれだけ深く曲に没頭、自我を捨てて高みを目指しているわけですから、別にニコニコを愛想を振り撒かなくても全然かまわないと個人的には思いますけどね。
そういうふうに思う人もいるのか〜とびっくりでしたが、逆にものすごく熱烈にカーテンコールを受けている演奏会でも私、しら〜っとしていることもあるので、これは人それぞれなんでしょうね。
とにかくも、きょうの演奏会はアリス・沙良・オットさんの演奏会以来の嗚咽をこらえた演奏会でした。あ、桐朋の演奏会は嗚咽ではなく熱い涙が静かに流れる感じでした。
いろいろ書きましたけど、きょうの演奏会の感想は、言葉にできないというのが本音です。
単に素晴らしかった・・・・などという前に、振り返ると言葉がなく、一体、どうなっているんだろうと口をつぐんで考え込んでしまいます。
素晴らしい、という一言で簡単に括れないような素晴らしさだったとでもいいましょうか・・・
次回の2月の皇帝もぜひとも聴きにいきたいです。
コメント
読者の方からお問い合わせ欄からコメントをいただきましたので、こちらでご紹介させていただきます。(米川幸余)
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サントリーホールのリサイタルを聴いた初老の男性です。リサイタルはあまりの衝撃で、その後数日精神がクラクラする思いがし、同じ空間を共にされた方々はどのような印象を持たれたのかと思ってネット検索をして貴ブログに行き当たりました。
私はピアノ音楽ファンとして80年代以降ピアノのリサイタルに通ってきて、素晴らしい演奏会は幾度も経験しましたが、今回は、音楽の神はこの韓国の青年に降りてきたのかと思いました。胸がかきむしられるような感動をおぼえ、このような演奏ができる人がいるのかと驚愕しました。
他の音楽家と何が違うのか、私にはうまく言語化できません。ただ、何か次元が違うというか、別の宇宙から降りてきたかのような感じがしました。誰の演奏とも違う?見えているものが違う?といった感じもしました。演奏会でこのようなことを感じたのは初めてです。音楽の神が降りてきたのかなどと、いい歳をこいたオッサンが何を言っているかと私も自分で苦笑してしまいますが、とにかくそう感じたのだから仕方ありません。
彼には普通の人間とは見えているものが違うのでしょうか?表現力が並外れているのでしょうか?特別な使命感に基づいて人間の能力の限界まで力を発揮しているのであのような演奏になるのでしょうか?
きょうの演奏会を振り返って言葉がないとブログでおっしゃられていますが、我々素人のために、何をお感じになられたか少しでもお言葉を賜れれば、勉強になり嬉しく存じます。
大して丈夫そうには見えず、燃え尽きてしまわないか、いつかフ~ッと我々の前から姿を消してしまわないか心配です。演奏中の、聴衆のあの異常なまでの静けさは、彼を決して邪魔することなく静かに守ってあげたいという、韓国から訪日した応援団の思いを体現していたのかもしれないなぁと思います。彼を末永く聴きたいものですね。ありがとうございました。(ペンネーム 走る海鵜)
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走る海鵜さま
コメントありがとうございました。
同じ演奏会を聴いていらっしゃったのですね。
ご感想を読ませていただき、共感するところが大いにありました。
とにかくイム・ユンチャン自身もインタビューで語っている、この言葉が彼のピアニストとしてのあり方をよく示していると思います。
インタビュアー:『賞を得ることになった秘訣、何がそこに導いてくれたか?』
イム・ユンチャン:「音楽を愛する気持ちと、音楽のために自分を捧げようとする気持ち。この2つだと思います。」
自分の才能をひけらかそうというようなパフォーマンスではなく、真摯に音楽に迫る姿勢に私たちは胸打たれるのだと思います。
演奏家の生活とはとてもハードなものだと思います。
音楽への愛に助けられながら、神経をすり減らすことなく、よいペースで私たちに演奏を届け続けて欲しいものです。
久しぶりにおったまげた芸術家と出会った。
イム・ユンチャンというピアニスト。
映像や録音では何度も何度も聴いてきたピアニストだが、今日初めて生演奏を聴いた。
やはりといった感じだが、全く録音と違う。
大好きなネトレプコの初手とかなり似た感覚。
映像や録音だと、かなりガツガツギラギラした印象の演奏なのだが、いざ生で聴くと、異様なほどの、この世のものとは思えないほどの繊細さ。
何というか、プレイヤーが消えてなくなり、音そのものだけがそこに存在する感覚。
イメージでしかないが、五嶋みどりとかもそんな感じなんだろうな。
なんなんだろ、あの感じは。
上手いとか、人間が主語となる表現は最早とり得ない領域。
殉教とでも言えば良いんだろうか。
感動というよりか、寒気がする感覚。
シャレにもなにもならない感覚。
彼らは本当にこの世に実在する存在なのだろうか。
フロイドメイウェザーに街で偶然出会ったときも似たような感覚だった。
強さとかギラつきとか全く無縁で、自分には木彫りのようにしか感じなかった。
物事を極めるとはこういうレベルを言うのか。
私が滅すというか、我欲が消えるというか、実在しなくなるというか、オーラがゼロになるというか。