ミハイル・プレトニョフ演奏会

2月28日 東京オペラシティでのミハイル・プレトニョフの演奏会は実に実に印象深かった。
あのようなものこそ、真の芸術、魔法のような音楽だと思った。

演奏は聴いていて予測のつかない音楽でもあった。一瞬一瞬が、そうくるか!と驚かされた。
しかし、それは奇抜というものではない。
例えば1+1=2
だが、プレトニョフの演奏はその中の1という数字一つをとってみても
1は、0.1+0.1+0.1+0.1+0.1+0.5でもあり、
0.1×10でもあり、
0.5+0.5でもあり・・・・というように一つの要素を何通りにも分解し、異なる計算式で同じ答えを導き出す、そんなふうな考えを思い起こさせられた。

そんな複雑に考えなくても1は1じゃないか!みたいに捉えていた場所で全く違ったやり方が示される、納得するが、よくもそんなことを思いつくなとびっくりの連続であった。
和声の混ぜ方、メロディーの歌わせ方、内声の出し方、すべてがきいたことのないような世界だった。
この世界を紡ぎ出すには微妙な弱音が出るピアノが必要だが、コンサートの始めに登場した時、プレトニョフはいかにも「このピアノが私を助けてくれるんですよ」と言わんばかりにピアノをそっと撫でて紹介するような仕草をした。
以前の来日のおりもKAWAIのピアノが気に入っているとのことで、その弱音のパレットの多さに驚嘆したが、本公演もそうだった。

アンコール1曲目のショパンの前奏曲嬰ハ短調Op.45では弾き始めた途端にホール全体が果てしなく広がっていく宇宙空間のように私には感じられた。
私は3階席正面というピアノから遠い席に座っていたが、その音はホールを突き抜けてどこまでも広がっていくような錯覚を起こしたほどだ。ピアニッシモなのにも拘らず!

プレトニョフの演奏にはものすごく惹きつけられるのだが、かといって押し付けがましいところは微塵もない。
ピアノを叩くことも全くない。
67歳という年齢を考えれば若い頃のように思いの丈をぶつけるような情熱的な演奏とは違うということは重々承知だが、それでも不思議なことに強音でたたかなくても強いメッセージが伝わってくるところがまた魔法であった。

アンコール2曲目のショパンのノクターンOp.9-2にしても、大体こう弾かれるという型があるのだが、そこを大きく超えていた。
最後のトレモロは果てしなかった(!!)し、一番最後の音が鳴るまで、そうくるか!の連続だったのだ。

日々、様々なことを突き詰めて考えてそのような解釈に達するのか、考えているからこそふと浮かんでくるのか、毎回一瞬一瞬違うものをその場で選んでいるのか、全く謎である。

あまりも凄すぎて謎めいている。そんなピアニスト。

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